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**Blogを開設したため、A Day in the Life [折節コラム]の更新は終了します。
日々の日記や情報、コラムは、Blog「月蝕花壇」に移行します。


 
 

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2011年05月16日

- さよならキャンディーズ -
元キャンディーズのスーちゃんが亡くなって1ヶ月近く経ったが、思った以上にショックを引きずっている。
キャンディーズ全盛時代は、私が幼稚園から小学生で、全キャン連な世代より10才近く若く幼かったが、歌も大好きだったしドリフとのコントや「みごろ!たべごろ!」の悪ガキのコントも大好きだった…。
当時のアイドルは、今のアイドルのような一部のターゲット層向けでなく、みんなが聴き、ファンになるような普遍性があって誰もが口ずさんでいたし、30年たった今も、特にファンでなかった人ですらヒット曲を口ずさめる、いわゆるみんなが親しむアイドルだった。
本来なら、懐かしい子供時代のすごいアイドルだった人とのお別れ、という悲しく残念ではあるが、著名人の亡くなったニュースで済んでいたかもしれない。しかし、高校卒業あたりから大学くらいにかけて始まった70年代へのマニア的な趣味は、当然70年代歌謡曲の代表でもあるキャンディーズの再評価となり、それからずっと今まで、カセットからMP3と媒体を変えつつ途切れることなく曲を聴く、現在進行形なものとなってしまった。
現在iPodには、15.6曲くらいキャンディーズの曲は入っている。シングル曲メインのコアなものではないが、いつの時代でも親しみやすいものばかりだ。リズムとブラスがかっこいい「危ない土曜日」、黒っぽいギターとオルガンがロックな「やさしい悪魔」、そしてキャンディーズの道のりを振り返る「微笑がえし」。この曲は、いつ聴いても胸にくる、キャンディーズの最後の輝きを聴かせてくれる。
しかし、この曲がプレイリストに常にあり、聴き続けているからこそ、ショックを引きずっているのかもしれない。
それぞれの道を歩くための別れの曲である「微笑がえし」は、3人が三叉路で手を振りながら、さよならをする風景が浮かぶ曲だ。ただ、その別れは、3人が自分の道を歩くための別れであり、解散後も仲が良かった事が、トーク番組などで語られていることから、悲しい別れではなく、キャンディーズ解散の郷愁として「微笑がえし」を聴いていた。
ところが、今回のスーちゃんが亡くなったことで、決して3人で会うことのない「永遠の別れ」の曲になってしまった…。今までの「微笑がえし」の詞がまったく違う、本当の別れの歌に変わってしまった。「お別れなんですね」の意味が変わってしまったのだ。
この曲を聴くたび、病床での弱々しいメッセージの声がよみがえって、悲しくてしかたなくなる…。

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2011年04月16日

- 3月11日 -
この1ヶ月、信じられないような出来事が続き、気づけば桜が咲き、散っていった。季節感を感じる暇もないほどあっという間のようでもあり、いつまでも解決しない原発や余震は、時間が止まったように次の一歩に進めないでいる。
あの時、自分は何をしていただろう。テレビを見るともなくつけ、Macでネットを一巡し、仕事を始めた所だった…。突然ぐらっときて、「地震だ」と思い、生放送のテレビに顔を向ける。石原慎太郎が都知事選に出馬の会見場だったろうか、最初はたいしたことないような気でいたが、揺れは30秒たってもおさまらず、逆に今まで感じたことがない揺れが長く続く。テレビは地震の速報に変わっていたようだが、はっきり憶えていない。
どんどん大きくなる恐怖、Macや液晶テレビが倒れそうなほどガタガタ揺れ、私はMac、連れが42型のテレビを中腰でおさえながら、逃げるべきなのかどうすべきなのか、優柔不断な時間が過ぎる。
横浜の震度は5弱で、古いマンションであるにもかかわらず、本棚が倒れることも皿が割れることもなく、ただ閉めていた窓が10cm開いたというよくわからない程度で被災地の方には申し訳ないレベルの状況だったが、体感的には生まれて初めての大きな揺れでかなり恐怖を感じた地震だった。
揺れの大きさが体験上初めての強さだったのもあるが、今回の地震はとにかく長かった。だんだんと強くなりそれがずっと続く…。もしかしたらこの後さらに揺れが大きくなり、マンションが倒壊するほど大きくなるのでは、と思ってしまう不安がより恐怖を感じたのだろう。
揺れが収まり、やっと冷静になってからの数十時間。予想を超えた惨事が次から次へとテレビを通じて入ってくることになる。
街や車を飲み込み多くの被害者を出した津波。映画のように大きな波が勢いよくやってくるのではなく、現実は巨大な海の固まりが不気味に押し寄せることを知った。多くの街がまるごと消え、波が去った後には巨大な船がビルの上に乗る、という信じがたい風景を見せた。
そして原発事故。どんなことがあっても安全、とうそぶいていた東電や政府、官僚たち。私はJCO臨界事故などの裏マニュアルなどの適当さから安全とは信じていなかったが、現実に起きなければその不完全さの証明ができないというのはほんとうに不幸だ。
未だ、進行形で進んでいる不幸は、今後の東北をそして日本をどうしていくのだろう。楽観的に向かっていきたいのだが、緊急地震速報の警告音や何々マイクロシーベルト上昇などの慣れない響きは、春という力強い季節をも台無しにするほどの力を持っている。

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2010年12月16日

- テレビはどこへ -
テレビ、いわゆる地上波がつまらない。全日ゴールデンで見たいものがほとんどなく、REGZAに録ったWOWOWの映画、CSIやコールドケースなどの海外ドラマ、近くのTSUTAYAでレンタルした映画を見ている状態だが、スカパーには入ってないので、ストックはあっという間になくなる。
そして年末年始、数少ない見ていた番組すらなくなり、特番だらけに変わっていく。
「もうYouTubeで見たよ…」な衝撃・爆笑映像やそれほど人気があったとは思えないドラマやバラエティの2時間(え!4時間)のスペシャル。特に衝撃・爆笑映像はすべての局がまるで初めて見せますよ、的にゲストを驚かせながらやりまくる状況で、なかには「それ、90年代に見たし、その後10回くらいみたけど…」なものまであってうんざりくる(衝撃・爆笑映像に付きものの動物もの見たさに懲りずに見てしまう自分にもうんざりくるが…)。
なんでこんなふうになってしまったんだろう。すべての局に個性が無くなり、ネット映像の再配信と同じような企画のバラエティ。どの局が最初なのかわからない、やさしく教える政治や社会の情報番組。そして、11.2回で終わるアイドル主役のコミック原作ものか炎すらCGとばれてしまう悲しいクオリティの刑事、サスペンス&ミステリーもの(相棒など映画の蓄財がある「東映」が協力してるものはまだまともだ)。
一昔前までは、局の違いも顕著だし、バラエティとドラマの世界観が、同じ局でもまったく違っていた。 例えば、凋落著しいTBSなど、80年代まではドラマは俳優座や文学座、民芸など本格的な演技を学んだ人たちによる文芸作品的なものやシチュエーションコメディなど見応えがあったし、刑事ものなど爆破や宙づりなどみな本物で手間暇かけて作られていた。バラエティはドリフやクイズ番組、歌番組など個性ある記憶に残る番組がたくさんあった。そういった番組が、10年20年経ち、マンネリ化してついに終わっていき、気づけば30%超え番組は一つも出なくなり、局を代表する番組すらなくなってしまった。
都合のいい「多様化」が原因で視聴率が取れる大ヒット番組がなくなった、とうそぶいても、同じような人たちで、同じような企画の番組ばかりでは、みんなが見るわけがない。不況による制作費カットもよく言われるが、テレビ草創期だってお金はなかったはず。老舗プロダクションの3.40代の格安タレントを司会やゲストで大量導入することでは下がることはあっても上がることはないだろう。
いろんなしがらみや硬直化した組織になって、昔ほど自由な発想が出ない現場なのだろうけど、子供の頃からテレビ大好きだった私にとって、見たい番組を探しても見つからない今のテレビ事情は悲しくてしかたない。
この年末、紅白も誰もが知ってる曲のない状態なのでもう10年以上観てないし、レコード大賞に至っては権威すら消えた、ただのTBSの特番になってしまい終了した方がいいのでは、とすら思ってる。
唯一風物詩的な意味で趣きが変わっていない「ゆく年くる年」の雪景色のお寺と除夜の鐘の映像が見たいくらいだ。
このままいったら、もうスカパーに入って名作ドラマや映画を見るという経済負担を負うか、ネットに向かうかしかないのだろうか…。無料で質の高い番組を見ることは、この斜陽した日本では無理な時代になったのかもしれない。
子供の頃の、誰もが知ってる歌だらけの紅白、レコード大賞、そしてゆく年くる年を迎え、正月が明けるとみんなが知ってるスターだらけの新春かくし芸大会。あの誰もが風物詩として感じたワクワクした年末年始の心持ちはもう味わえないのだろう…。

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2010年10月18日

- Only Shallow -
久しぶりに音楽で陶酔した。聴く場所(風景)、聴く精神状況、それに合致する曲、そして曲の良さ、それがそろわないと、どんな名曲でも楽しむだけで流してしまう。
先日、その状況がそろって、トリップに近い不思議な多幸感を得られた。
菊名から妙蓮寺への帰り道(散歩兼銀行へ用事)、菊名駅から菊名病院裏手の横浜線沿いの細い道を抜け、踏切を越えると横浜線と平行する長い坂がある(そこからカーボン山横を通り、綱島街道へ出る裏道)。
横浜線はそのまま坂を登らずトンネルで山を抜けるため、坂を登るに従って横浜線はどんどん崖下となり都会では珍しい開けた空間が北に広がる。
逢魔ヶ時。空も崖下に連なる町や線路、南側の坂上にあった旧家を壊した造成地も輪郭がぼけ始めている中、真正面に今年大接近している木星が一等星の数倍も明るく輝いている…。
そんな状況で、前も後ろも人のいない坂をてくてく歩いている時、My Bloody Valentineの「Only Shallow」という曲が流れ始めた。
のっけから轟音フィードバック・ノイズギターの反復嵐が吹き荒れ、一気に現世から逸脱する。天空を漂うようなヴォーカルで妖かしの世界へ向かうとまわりの風景は消え、坂道と真正面の巨大な木星が視界に入るだけ。まさに久しぶりのロックでのトリップだ。
歩いてはいるが、音の海の中をゆるやかに漂ってるような、説明が難しいが、とにかく心地よい久しぶりの体験。普段どちらかというと冷めた性格で、熱狂とか感動とはほど遠い自分がこういった陶酔に似た体験をするのは数年に1回くらいだろう。
「Only Shallow」自体名曲で、ここ最近でもiPodで何十回も聴くお気に入りではあるが、「やっぱりかっこいい曲だ!」と感嘆することはあるが、こういった陶酔のようなトリップ感は、先にも書いたが、場所、聴く精神状況、設定がうまく合致したからだろう。
歌謡曲やJ-POPでは、さすがに難しいが、サイケやプログレ、フリージャズ、クラシックも曲によっては、トリップできるだろう。60年代サイケではグニャグニャした摩訶不思議な世界にイッってしまう場合もあって、よりディープな合法トリップを味わえるが、何とも言えない浮遊感や体が流されるような陶酔には、プログレやいわゆる「シューゲイザー」というジャンルというかスタイルの曲がいい。
シューゲイザーというのは、いわゆる轟音フィードバック・ノイズのギターにハードロックやパンクとは違う流麗なメロディが乗る、浮遊感あるサイケの影響を受けた80年代後半から90年代前半のロックだ。決してメジャーシーンの表舞台には立たなかったが、商業的大ヒットしたロックよりも多くの影響を残した素晴らしい世界観を持った本質的なロックだ。フィードバック・ノイズや歪んだ轟音のようなギターが好きな人には、たまらない魅力を持った音楽だろう。
ここでもし自分もそんな気分が味わえたら、と思ったら、以下の状況で聴いてみるのもいいかもしれない。
大音量のスピーカーに囲まれ、体をまかせて聴くのがベストだが、今の世の中防音室を持ってないと迷惑になってしまうので、人があまりいない魅惑的な風景の中で聴くのがいい。
例えば、雲海を見下ろす山や、真っ赤な夕焼けの中のススキ原、山奥深い渓流の石の上、土手に寝ころんで満天の星を見て、夜の工場が見渡せる港など。ヘッドホンや車の中で、雑念が消えるくらい大きな音量で聴くと陶酔できる可能性大だ(一人か共有できる人以外には騒音になってしまうので注意が必要)。

今回の場合は、昼と夜の狭間、輪郭が消えていく逢魔ヶ時だった事と、さらに大接近した木星の不思議な力もあったのかもしれない。 こういった体験をすると、音楽がいかに私の精神衛生上大事なものかあらためてわかった。

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2010年07月16日

- 遠いあの日 -
先月6月に田舎で中学の同窓会があったからだろうか(残念ながら都合がつかず参加できなかったが・・)、ふとしたひょうしに小・中学の頃(私の地域では小学校から分かれることも他地域と合同することもなく同じ中学校に進む)を思い出す。
甘酸っぱいことから、思い出すだけで顔が赤くなるほど恥ずかしいこと、いろいろあるが、総じて楽しかった時代だった。
そんな中、すっかり忘れていたことも思い出したりする。
小6の頃だろうか、同じ班の女の子Kさんはちょっとおでこが出ていた。私はふざけてものすごく大袈裟におでこを出した似顔絵(まったく似てないひどい絵)を描いて、Kさんをからかっていた。今から思えば、本当に失礼で、かなり傷つけていたのだろうと思う。そんなバカを笑いながら受け止めてくれたKさん。中学になってクラスが変わると私はすっかりそんなこと忘れ、あまり話す機会もなくなった。傷つけていたら、と思うと気になってしまう。
あと、思い出してもなぜそうなったのかわからないこともある。1ヶ月くらいか、2ヶ月くらいか、それすらも憶えてないが、住んでる地域も違うし、それほど仲良かった記憶のないOさんとなぜか一緒に2人だけで待ち合わせて帰った時期がある。小学3年だろうか?班が一緒になって意気投合したのか、何も憶えていないのだが、いつもと違うその子の住む地域を通って帰っていたのだけを憶えている。それまでいつも一緒に帰っていた同地区の友人をどう断ってたのか、なにがきっかけで始まり、終わったのか、短期間だっただけに不思議でしかたない。
もう一つ不思議といえば。小5頃だろうか、近所の団地の造成がはじまってすぐ、家もない殺風景な碁盤の道だけができたばかりの頃、当時仲良しの3人でルパン三世ごっこをやった。やったといっても何をしたのかわからない・・。造成地に集まって配役を決めてた記憶はあるのだが、どうすれば自転車に乗った3人がルパン三世の真似ができるのか、3人だとするとルパン、次元、五右衛門となるが、銭形がいない状況でどう遊んだのか・・わからないことばかりだ。
逆に中学になって二次成長したあたりから、記憶はかなりちゃんとしてくる。小学生は遠い昔でも中学生の頃は30年近くたった今でも、つい最近のように感じることもある。とくにませはじめ、異性とかいろいろ気になり始めた当時の心境はちょっとしたことで、今でもふっとよみがえる。
例えば松田聖子。当時大ファンだったので松田聖子の曲を聴くと中学時代の記憶が簡単によみがえる。
チェリーブラッサム」を聴けば、幼なじみで同じテニス部の友人と部活後暗くなった道を帰ったのを思い出すし、「白いパラソル」なんか聴くと気持ちは一気に中2の夏の青臭い時期に戻ってしまうし「制服」を聴けば、中3の最後の班の面々、そして別れ、ひとりぼっちで離れた高校へ進んだ時の不安な気持ちがよみがえる。
そんな郷愁が心地よい年齢になったのか、久しぶりにレンタルで松田聖子のCDを借りてiPodに取り込み、聴くようになった。高校に入ってRock少年になってしまったので、ちゃんと聴くのは20数年ぶりだ。
いろんな思いが含まれるので客観的には言えないが、アルバム曲も含め名曲ぞろいだ。
A面より初々しいオールディーズ風の「Eighteen」、イントロのキラキラした「夏の扉」、2番の歌詞だけで名曲な「赤いスイートピー」、爽やかな空気感とギターがすばらしい「渚のバルコニー」。そしてシングルではないが、大滝詠一と松本隆の「はっぴいえんど-ナイアガラ」コンビのアルバム「風立ちぬ」前半の極上の大滝サウンドによるポップス群。特に「冬の妖精」や「一千一秒物語」などの、海外の絵本のような世界観を持つ夢のような恋の唄は、今改めて聴くとその世界観と当時の純粋だった気持ちとがクロスしてより魅力的に感じる。
少年から知らぬ間に中年に入ってしまったが、中学の頃40代といえば本当のおじさん・おばさんで少年の気持ちなどとうの昔になくしてしまった世代だと思っていたが、自分がその世代になってみて、あっという間の連続した時間であったことに気づく。
何も考えないでいられた時代から未来がまぶしかった時代、不安にもだえていた時代。全てが今ではなつかしい。
今回みんなの"今"を見られなかったが、次回は変貌した同級生たちをぜひとも見てみたい。
次回は、東京でやってくれないかなあ・・。

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2010年05月16日

- たいやき -
私がたぶん一番始めに買ったレコード「およげ!たいやきくん」のおじさんのモデルになった浪花家総本店の3代目が亡くなった。長年がんばってこられた方で本当に残念だ。
今から20年くらい前、初めて浪花家総本店で食べた「たいやき」は、それまで食べていたたい焼きとはまったく別ものの食べ物で、たい焼き自体にそれほど興味がなかった私の価値観を変えたお店だった。
それまでのフードコートやチェーン店に売ってるたい焼きは、ホットケーキ生地のような厚い皮と少ない割に甘いあんの、不味くはないが大好物にはけっしてならないものだった。
ところが、浪花家総本店のたいやきは、コゲの入ったパリパリの薄皮に、たっぷり入っているのにくどくない甘さのあん、とパッと見同じようでありながら、それぞれがフードコートものとはまったく別のベクトルの食べ物だった。
それからは、たい焼きというものはメジャーで一見気軽に食べられるものでありながら、実はなかなかおいしいものが食べられない、名店探しを必要とする食べ物であることがわかった。
ただ東京には、たい焼き御三家と呼ばれるお店がある(有名なのでたい焼き好きの方なら知ってるだろう)。この三店さえ知っていて食べる機会を得られれば、ある意味他を探さなくても満足がいく。
麻布十番「浪花家総本店」、四ツ谷の「わかば」、人形町の「柳屋」だ。
どこも焼きたてを食べればそうとう満足できるはずだ。私はなぜか横浜からは一番遠い人形町の「柳屋」が一番利用回数が多いだろうか。(TBSのドラマ「新参者」では、人形町を舞台にしていながら、銀だこ系チェーン「銀のあん」のたい焼きを大々的に紹介(タイアップスポンサー)しているので「柳屋」は出てこない。テレビの影響は強いので、せっかく人形町に行って「柳屋」に行かず、チェーン店「銀のあん」のたい焼きを買っている人も多いだろう)
三店とも共通するのが、1匹ずつ焼き上げる「天然物」たい焼きだ。俗に御三家のように手間をかけ、1匹ずつ型に入れて焼くものを「天然物」、フードコートやチェーン店などにある一度に複数焼けるものを「養殖物」と呼び、技術とこだわりを持ったお店=「天然物」=期待できるお店、と考えていいだろう。
ここ最近、薄皮や白たい焼き、羽根付きなど、昔と違って、こだわりと個性あるチェーン店系がショッピングモールや駅ビルにたくさん進出してきて、気軽にいろいろな種類のたい焼きが食べられるようになったのは、たい焼き好きとしてはうれしいことだ。
特に神田や八重洲、上野に店舗を持つ「神田達磨」やこだわりの「天然物」鎌倉の「なみへい」など新しくも個性あるおいしい店ができるとうれしくなる。
まあ逆に相変わらずの分厚い生地でただ単にいろいろなアンやピザ、お好み焼きなどフード系でごまかす、形だけ「たい焼き」の店もいたる所に進出しているので、食べるときはどういうたい焼きが食べたいか、自分の中で確認も必要だ。
ただ、職人の作る御三家のような、たい焼きはやはり別格で、時々無性に食べたくなる。もし行ける場所に住んでいて、まだ食べる機会を持たなかった方は、ぜひその場で焼きたてを食べて欲しい。(常に混んでいるので、焼き置きする間がないと思うので平日のわずかな閑散時を除けば間違いなく焼きたてが食べられる)


以下にお店紹介。
++ たいやき御三家 ++
○麻布十番「浪花家総本店」のたいやき:150円 港区麻布十番 1-8-14
○四ツ谷「わかば」のたいやき:140円 新宿区若葉1-10
○人形町「柳屋」の鯛焼:140円 中央区日本橋人形町2-11-3

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2010年02月16日

- Googleマップで見る街並み探訪 -

私は地図が好きだ。暇さえあればGoogleマップを見て仮想散歩を楽しんでいる。「タモリのTOKYO坂道美学入門 」を見れば、気に入った坂をチェックし確認、ブログですてきなお寺を見つければ確認、といつでも行けるように調べるのは、実に楽しいし、財布に余裕がなくても行きたいと思えば、ヨーロッパだろうが、南米だろうが、中東だろうが安全に行けるのだからやめられない。
特にGoogleがEarthやマップで上空写真やストリートビューが出来てからの仮想散歩は、それまでの地図散歩の楽しさを何倍にも充実させ、図では分からなかった、街並みや緑の入り方をリアルに体験できる。
今ハマっているのが、街並み比較だ。ヨーロッパの美意識溢れる美しい街、アメリカの計画されすぎた都市、そして建物のデザインから立ち位置、高さなど周りとの調和をまったく考えず乱立する街並みを持つアジアの都市群。
この実に興味深く、国民性や文化レベルすら考えさせられる街並み比較をちょっといくつか紹介したい。
まずは、ヨーロッパの街から。(Googleマップにリンクをはっているので「航空写真 - 地名を表示のチェックをOFF」にして少し広域にして見てください)
パリ
至る所で放射状の交差点を造り、つなぎ合わせた街は実に個性的だ。大きな道は基本並木道にしていることで、殺風景な自動車道路が趣きある道になる。
ドイツに移って、
ベルリン
パリから比べると緑が多く配置され豊かな空間ある街を造っている。ただ東西分断の時代も長かったからか街の顔がはっきりしないようにも思う。
ドイツから私の好きな街をもう一つ
ブレーメン
ドイツは戦争で多くの街が日本以上に壊滅したが、戦後、戦前の姿を忠実に再現するという、文化的に素晴らしい再建路線をとった。緑をふんだんに取り入れ、川も極力コンクリート護岸をしない風景は、「ブレーメンの音楽隊」の話ではないが、どこかメルヘンの世界のような美しい街になっている。(一戸建て住宅を見てほしい。家に対する庭の広さは都市部とは思えない・・)
イタリアの有名な美都市
フィレンツェ
統一された屋根の色、ストリートビューを見れば分かるが、建物の高さ規制、そしてここでも極力コンクリート護岸をしない川の風景が中世のたたずまいを残す要因だ。祖父どころか5代位前の先祖が見た風景と同じ風景が街のほとんどに残っているのではないだろうか。
次はスイスから
チューリッヒ
撮った季節も良かったのだろうが、ちょっと夢のような色味を持つ街だ。緑豊かで、こんな街を見ると自分の家のベランダから見える住宅街が、殺風景なさみしさすら感じる風景になってしまう。
オランダの首都
アムステルダム
ここも緑の多さと運河の美しさが際だつ、すばらしい街だ。眺めているだけでため息すら出てしまう・・。運河都市で、美しいと評判だった江戸も、もしかしたらこんな感じだったのかもしれない。***上空写真が変わりあまりよくないものになってしまいました・・。
それでは、ドーバー海峡を越え
ロンドン
季節が寒い時期だからか、アムステルダムなどと比べると緑が少なく、産業革命の国といった感じだ。ただ、日本の場合大都市から地方へと集落がだらだら続き、都心から100km程度離れた場所でも、団地や国道電気街になって自然とはほど遠い風景となっているが、イギリスの場合、街と田園が区分けされ、50kmも離れれば美しい田舎の風景が見られる。
有名な大学の街、○ケンブリッチを見ると、緑の配置が絶妙な都市造りで美しい。さらに郊外に行くと田畑と集落を雑木林や森で区分けした昔ながらの田舎の美しい風景が見られる。
次は、歴史の浅いアメリカの街を見てみよう。
まずは、アメリカの大都市
ニューヨーク
新宿御苑の6-7倍あるセントラルパークと碁盤の目のように区画された都市は、人工的美しさはある。高層ビル群の影で街のコントラストがすごい。
西海岸の豪邸街
ビバリーヒルズ
こういうのを見てしまうと、日本の裕福な家ってなんなんだろうと感じてしまう。緑豊かな家々は誰もが憧れてしまう。そして本当の豪邸はその北にある高台にあり、プールの青と巨大な一軒家の屋根がベージュのモザイクのように映っている。
航空写真で見ると、とても美しい幾何学模様の街
サン・レイクス
アリゾナのフェニックスの南、砂漠の中にある人工的な街。航空写真の美しさと違い、ストリートビューで見ると殺風景で悲しい、計画のみ先行して暮らしの豊かさを感じない、頭でっかちな街だ。
街ではないが、フロリダの巨大なディズニー王国
ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート
リンク先はほんの一部。3.4km南東にブエナ・ビスタ、その南にエプコット、その南にディズニーハリウッドスタジオ。さらに3km西にアニマルキングダム。広さは山手線内の面積の1.5倍ある。東京ディズニー・ランドが広いと思っていたが、これと比較するとアリと象のようだ。アメリカ恐るべし。
では、日本に移って古都
京都
予想以上に普通の日本の都市となっている。建物の統一感がなく、思った以上に緑が少ないのも以外だ。緑に覆われた所はお寺まわりと小さな通りだけという、いかに日本の伝統的風景の保存の仕方が局所的かわかる。
日本の高級住宅街を次は見てみる。
芦屋市六麓荘
緑豊かで余裕のある空間もさすがの高級住宅地だ。ただ規模があまりにも小さく、巨大な学校施設が半分近く占めていて、街というより集落といった感じだろうか。
田園調布
半放射状の有名な高級住宅街(東側は庶民的な街だ)。ただ広い一軒家は少しずつ減り小さな豪邸も増えてきて、航空写真で見るかぎり、あまりすごさを感じない。ただ固定資産税はものすごいだろうな、と思うが・・。

総じて日本の街は、高級住宅街でいえば、土地の大きいアメリカのビバリーヒルズなどと比べると庭の広さや緑の量、土地のスケール(空間)が違い、細々していて航空写真では豊かさが伝わらない。
都市として見ると、同じ土地の狭いヨーロッパと比べると、緑を配置するバランスや周りとの調和をとる街作りのセンスは感嘆せざるおえず、ぐちゃぐちゃした日本の街は、あまり自慢できる美しい街とは言えないだろう。
(もちろん私見なので、混沌としたものに美を感じたり、サイバーパンクが好きだったりする人には東京は魅力ある街だ・・)

Google マップ好きとして最後に一言。
世界遺産でもある白川郷など日本の地方は、相変わらず航空写真のズームに対応してない所が多い。盛岡市や青森市など県庁所在地すらズームで見られないのは、なぜだろう。Google日本法人の怠惰なのか、本社が日本を軽視しているのか・・。

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2009年12月16日

- さよなら00年代 -

今年2009年ももうすぐ終わる。30才を過ぎてからの1年はものすごく速く、'00年代の10年もほんとにあっという間だった。来年から'10年代が始まるが、子供の頃、21世紀2010年といえば、自動車は空を飛び、宇宙旅行は当たり前の世の中になっていたはずだが、携帯、パソコンなど(今となってはなくてはならないが、なかった頃はなくても困らなかった物たち)が進化した位で、交通手段も生活手段もスピードやデザインが変わった位で劇的変化は何も起きていない・・。
つい最近「26世紀青年」(原題Idiocracy)というふざけた邦題をつけたバカ映画を見たが、ある意味実はものすごく社会的問題を突いた映画でもあった。
冬眠プログラムの実験台になった窓際軍人の主人公。しかしプログラム責任者が逮捕され、冬眠プログラム自体忘れられ500年・・。
IQの高いインテリ層はあまり子供を作らず、IQの低い(考え学ぶ事をしない)いわゆる"バカ"は10代から避妊もせず子供を作り、その子もまた10代で子供を作る。それが繰り返され500年後、人類はバカだらけの世界になっていた。ゴミ雪崩により偶然冬眠プログラムから目覚めた主人公は、世界一知能の高い人間になってしまう・・。
ふざけたバカ映画だったが、現在の先進国に共通する少子化(特にインテリ層の)は、もしかしたら未来は低能化し当然科学は沈滞し、夢の未来で描かれたような高度文明など持てないどころか、今よりも後退した社会になる、というのがまんざらお笑いとは思えない面がたしかにある。
いや実際、子供の頃夢見た科学文明の発達した21世紀とはほど遠い現実を見れば、もう数十年前から人類の知能低下は始まっているのかもしれない。
でもそれがいけないことなのか、それはわからない。科学文明が発達した世の中がすばらしいわけでもない。少しくらい低能化しても安心とか心の豊かさとか、20世紀に壊し続けた情緒的なものを見直す時代になるのなら、そのほうがよりよい未来になるようにも思う。

最後に'09年はいつにも増して、たくさんの昭和を代表する人たちがこの世を去った。思いつくだけでも映画・演劇では、「大原麗子」「南田洋子」「森繁久彌」。みな一時代を築いた"大"のつく方々だ。特に大原麗子は、小学生の頃から、なんて綺麗な人なんだろう、と思っていた女優だった。70年代マニアになっていろいろドラマや映画を見たが、「雑居時代」という名ドラマの魅力的な演技がすばらしかった。主演の石立鉄男も今はこの世にいない・・。
「加藤和彦」「忌野清志郎」「マイケル・ジャクソン」など時代を代表するようなミュージシャンも亡くなった。今のミュージシャンより時代を背負っていた分、ショックを受けた人も多かったろう。加藤和彦のサディスティック・ミカ・バンドは今の邦楽バンドが持っていない、世界に通用するロックだった。清志郎のような"ロックが本来持っている反骨精神"を持つロックミュージシャンも今はいない。
平成はもう22年目を迎える・・。

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2009年09月16日

- 世代考 -

時々自分が生まれた世代について考えたりする。生まれた年ということでなく、何年に生まれ、こんな時代を生きてきた世代ということだ。
私は1968年生まれ。青春時代を昭和で過ごし、成人を迎えてからは平成、という世代だ。激動の昭和の終わりを体験し、大世紀末と呼ばれる世紀と千の桁の移行も体験した。
また日本という国の大人への変換期=文化的爛熟期70年代を小学生で過ごすことができ、今の70年代マニアの礎にもなっていて、自分の世代は結構悪くない、そう思う。
ただそれでもやはり団塊、ポスト団塊の世代には憧れる。ビートルズを始めとするロック革命をリアルタイムで体験でき、政治の世界ももしかしたら本当に革命が起きるかもしれないといった高揚感を味わえ、挫折後も今以上の自由と退廃に満ちた70年代初期を若者として体験できたのだから・・。
今はほぼ100%廃線となったほんとのローカル線駅や山奥の集落まで通っていたバスが生き生きと存在し、まだまだ列島改造されず、古き日本が残っていた地方をディスカバー・ジャパンする楽しさ、70年代まではそれが味わえた。
80年代に入り、私の田舎もそうだが一気に川がコンクリートになり、森が整備され、街道沿いに巨大店舗が建ち始め、駅周辺の空洞化が始まる・・。
私が自由に旅できる(自分のお金で)ようになった90年以降は、風光明媚な所は観光整備されバスツアー客で溢れ、そうでない所は電車もバスも通らなくなって旅地図としての日本はどんどん小さくなってしまった。
80年を境に日本はいろいろな意味で曲がり角を迎え、国として中年となった・・。人としての青春時代と日本の成長(青年)時代がリンクする、団塊、ポスト団塊の世代はそういった面でもやはりうらやましい。
逆に、こんなこというとその世代の人たちからは反論もあるだろうが、平成生まれの人はかわいそうに思う。一昔前に美しき日本風景は駆逐され、文化的エネルギーも出し尽くされ、平凡で何も起きない時代、劇的に新しいものが生まれない時代、この先も老人ばかり増え、若者がどんどん減っていく時代、そして間違いなく精神的な面も含めてあらゆるものが希薄になっていく未来・・。
年をとったせいなのかもしれない。40という恐ろしい壁を越え時代の先端の楽しさについて行けてないからかもしれない。でも客観的に見ても平成、特に90年以降は時代としてうねりを感じない(うねりがなかった)のは間違いないだろう。
もし何十年か後寿命を迎え、生まれ変わることができ、さらにはその時代を過去未来という時間軸を無視して選ぶことができたら、自分はどの時代を選ぶだろう?
やはり憧れの団塊、ポスト団塊の世代に生まれ、昭和元禄を体験しようか、いや日本文化の頂点「文化・文政」期に青春を過ごせるよう文化初年あたりにしようか、いやいや、大正デモクラシーを味わえる明治中期にしようか、ん・・明治以降は戦後にならない限り至る所に戦争があるからやはりやめよう・・。都会の西洋化と田舎の江戸と変わらぬ風景が混在する風景的視点ではすごい時代なのだが、戦争には参加したくない・・。

無意味な思考で何を馬鹿なことを、と思うだろうが、こんな事を眠れずに何時間も考えていたりする・・。でもこんな思考、自分は嫌いじゃない。

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2009年07月16日

- 伝統仏教の魅力 -

最近仏教に興味がある。といっても信心深くなったとか、おかしな宗教に入ったとかいうのではない。神が降りてきたとか、仏の生まれ変わりとかいう教祖さまや会長がいるような宗教はやはり引いてしまうし魅力は感じない。私が魅惑されているのは、大衆化しカルト色のない伝統的な仏教、いわゆる"普通"の日本人にはなじみが深く、抵抗感がない歴史ある仏教だ。
日本の伝統仏教には、とてもたくさんの宗派がある。代表的な七宗派として、トラッドな二大宗教、「真言宗」&「天台宗」。達磨や坐禅として有名な禅宗の「臨済宗」&「曹洞宗」。南無阿弥陀仏と念仏を唱える、「浄土宗」&「浄土真宗」。南無妙法蓮華経で有名な「日蓮宗」。
当然私には、的確に宗派の違いを説明することはできない。Wikipediaで調べて読んでも理解できないのだから、真面目に仏教の教えを受けている人、学問として学んでいる人には、"ふざけるな!なにもわかってないぞ"と言われるだろう。
だからここで述べる事は、勝手に解釈したり、雰囲気だけで自分が感じているイメージだ。歴史学者が時代劇を見て、実際とはあまりに違う事を分かっていても許すように、大目に見てほしい。
七宗派の中でまず私が惹かれるのは、空海(弘法大師)が9世紀に開いた「真言宗」だ。密教、曼陀羅、天空都市-高野山。響きだけでも魅惑的だし、最も重要な仏が「大日如来」、大日如来の化身が「不動明王」というのもいい。大日如来とは簡単に言えば宇宙そのもの、あらゆるものを超越した仏、お釈迦様も説法を説くため大日如来が姿を変えて現れた姿、というあまりにも大きくてなんだか分からない所も魅力的だ。
あとは、禅宗の「曹洞宗」。同じ禅の臨済宗が公案という問答を行うのに対し、ただひたすら無心に坐禅する。悟りを求めたりもしてはいけない、とにかく深すぎる宗派だ。日本での開祖道元の宗派や禅という括り自体=セクショナリズム、の否定、という大きな考えも惹かれる。
あらゆる宗祖が学んだ「天台宗」も日本仏教の大本のようなもので魅力も感じるのだが、中世比叡山延暦寺の僧兵というか武装化集団のイメージが強い(これも一向宗など他の宗派でもあったことなので天台宗だけというわけではないのだが・・)のと、密教も含め多くのものを内包し広大過ぎて素人の私にはこれといったポイントがないのが今ひとつ響かない理由だろうか。
まあこんなことを言っても、特定の宗派を信じてるというわけではない。古い寺を巡る時に「ああここは不動明王があるので、密教だから真言か天台だ。とか枯山水のこの庭は禅宗のお寺だ。」とか知識として簡単なことでも分かっていた方が楽しい、その程度だ。
日本人は宗教心がない、というイメージが強い。おそらく国民の9割はそれほど信仰を持って暮らしていない。私もそうだ。お盆など今も残る一般的な宗教的行事すらすることもないし、ほんの数十年前なら誰でも知っていた宗教的知識もない。
ただ、古いお寺などに行って、美しい仏像を観たり、灯明だけの暗い本堂でお経を聴いたり、真っ暗闇の戒壇巡りなどをすると何とも言えない静寂な気分になり、仏教の世界観ていいな、と思うようになった。
宗派の違いは、今の時点では関係ないのかもしれない。もう一段階理解してから、いや、あえて深くならず選ぶ必要もないのかもしれない。もう少し身近な存在になればそれでいい。
私にとっての問題は、魅力である"伝統"ある古い時代に建造された寺が、関東には少ないことだ(横浜はほんと少ない・・)。大震災と戦争で多くの重要な寺が焼かれてしまった。敷地も切り売りして墓とビル寺になってしまった名寺もある・・。
信心には関係ないことかもしれないが、やはり鉄筋だったり、真新しい色の本堂だと、歴史の重み(数百年前の人もここでこれを観て拝んだんだ・・といった感傷)が味わえず、深い気持ちになりづらい。
比叡山に高野山。京都に奈良。名寺院が集まる関西に住んでる方が羨ましい。 雨が降りそうで降らず、薄く霧が出る中、高野山奥之院をのんびりと歩きたい・・。

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2009年05月16日

- 横浜観光案内 -

横浜に住んで10年以上になる。もう自分は"横浜人"気取りで、先日放送された「鉄腕!DASH!」の「歴史探偵」というコーナーで、古い写真から場所を探すというものがあったが、「横浜開港記念館」や伊勢佐木のサンマー麺の元祖「玉泉亭」、根岸森林公園の「競馬場跡」などすぐ分かり、横浜について結構知ってるな、と自己満足した。
今、横浜は開港150周年を迎え「開国博」をやっていることもあるし、前回に引き続き紹介ネタになってしまうが、横浜に行ってみようか、と思っている人に、自称"横浜通"の私がお薦め観光スポットを紹介したいと思う。
まずは、メジャーどころ。
○「元町-みなとみらい」。
いろいろな雑誌やネットでも語られているので簡単なお薦めコースを。
みなとみらい線の「元町・中華街駅」で降り、「元町」や「中華街」を巡った後、山下公園へ出る。西の隅から海沿いにある歩道を歩いて「赤レンガ倉庫」「ワールドポーターズ」「ランドマーク」「クイーンズスクエア」を巡り、暗くなったら夜景がとても美しい「汽車道」を歩く。デートコースとしてお薦めだ。
○「山手」。
ここもメジャーなのでいろいろ紹介されているだろうから簡単に。
「港の見える丘公園」から「イタリア山公園」まで、のんびり歩くだけで豊かな気分になれる。特にお薦めは「元町公園」と「山手234番館」、「えの木てい」あたり。いかにも山手といった風景で絵になる。
○「三溪園」。
ここは、日本の風景や和の魅力に興味がある人には行ってほしい素晴らしい場所だ。
明治期の実業家原三溪によって本牧に作られた一山を持つ大庭園だ。園内には国の重要文化財建造物10件を含む全国から移築した古建築がたくさんあり、大池から旧燈明寺三重塔を眺める風景はすばらしい。
桜の季節は、本牧通り、三溪園へ向かう本牧桜道、三溪園と性格の違う桜風景三昧に浸れる。
○「根岸森林公園」。
4.50代の荒井由美時代のユーミンファンの人は、「ドルフィン」に行き、ソーダ水を飲んだら、ここへ来て広大な芝生の上で昼寝をしてもいいし、クラシック要塞な競馬場跡を見るのもいい。
○「野毛山動物園」。
ここは時間があったら寄ってほしい場所だ。昔ながらのなつかしい動物園でほのぼのできる。入場料無料なのもいい。

あと中心街からは離れるが、ツアーでは有名な「八景島」とすぐ南にある「海の公園」も行って満足感得られる場所だ。

ここからは万人向けではないが、私一押しのスポットをいくつか紹介する。
○「野毛山不動」。
桜木町駅からみなとみらいとは逆方向だがディープな体験ができる。桜木町駅を出て、大回りだが、紅葉坂から伊勢山皇大神宮を通って行くのがお薦めだ。風車がまわり線香の煙が包み込む地蔵の浄土感、崖っぷちにいろいろな仏が建つなんともいえない妖しさ、普通の寺とはちょっと違う体験ができる寺だ。また、階段あたりから見えるランドマークとのギャップが楽しい。
*マドンナの「Jump」という曲のPVに使われているお寺。PV自体は質低い・・。
(***2010/1/16追記:2015年に本堂をビル型の新しい物に建て替えてしまうようです・・。あの味のある古き良き郷愁の趣がなくなるので非常に残念です)
○「笠のぎ稲荷神社」。
ここも不思議な空間だ。南北を京急の線路に挟まれていて、特に南側は高台にある社の高さと真正面3m先の京急の線路の高さが同じ。社から階段で歩道に降りる時に目の前を京急の車輪がものすごい迫力で駆け抜ける・・。
○「六角橋-仲見世通り商店街」。
東横線の白楽駅から六角橋の交差点まで続く商店街と平行してある古き昭和の風景が色濃く残る細いアーケード街。六角橋側にある入口からをお薦めする。入ったとたん、昭和30年代にタイムトリップする。

あと、いつでも横浜に行ける方で車を持っているなら、初夏の「四季の森公園」の蛍をお薦めする。広大な谷戸がうまく整備され、蛍の数も結構多い。蛍の時期「ズーラシア」ついでに夜寄ってみるのもいい。

最後にこんなことを言っては何だが「開国博」は今ひとつ魅力を感じない。プレイベント時に練り歩いた時に行って迫力に圧倒された「ラ・マシン」の動く巨大オブジェは、開国博では定位置で手足を動かす程度のようで、宝の持ち腐れ感が強い。観光のついでに「開国博」でも、というスタンスでいいだろう。

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2009年02月16日

- 70年代歌謡 vol.2 -

去年末から続いた病院通いもやっと終わった。こんな事を書くと大病を患ったのかと思われるがそうではなく、歯医者通いが終わった後、頭皮のできものの治療に皮膚科に通っていただけだ。
横浜中央病院という石川町駅と中華街の間にある古い病院に通っていたのだが、最寄りの妙蓮寺駅から乗らず、大口駅まで歩くという通い方にした。妙蓮寺駅までなら10分以内で行けるが、大口駅までは山を下って20分ちょっと。寒くなると散歩する日も減り、旧正月(江戸時代好きなので)に目黒不動-学芸大散歩をした程度で明らかな運動不足。往復40分歩け、交通費が東横+JRよりもJRのみでほぼ半額で行ける、という経済的な理由もあり、大口から通うのに決定したわけだ。
そうなるとiPod装着時間も長くなる。携帯に便利なshuffle 2Gを名前通りシャッフル設定で聴いているのだが、大好きなブリティッシュ・ロックの合間に入る70年代歌謡が歩く場面によってはたまらなく心に染みる・・。
線路沿いの歩道、古いアパートの立ち並ぶ路地、住宅街の長い階段の坂道etc。道行く私より一回り上の"おばちゃん"と変化してしまった女性に、この曲が流れていた頃は、どんな少女時代だったのだろうか、と夢想しながら歩く私は、やはり変だろうか・・。
前回いくつか70年代歌謡を紹介したが、今回はそれとは方向性が180°違う、心に染みる、哀愁ある70年代歌謡の名曲をマニア的視点でなく一般的視点でいくつか紹介しようと思う。(それぞれYou Tubeにリンクしてます)

手紙
「死んでもあなたと暮らしていきたいと願っていたのに別れの手紙を書いている。なにが悪かったのかも分からず・・。」大人の愛を歌った由紀さおりの名曲。
発表時私は、1才か2才。なのにちゃんと憶えている。まさに赤ちゃんからお年寄りまでが口ずさめた70年代歌謡の代表的な曲。
メロディーの力がすごく一度聴いたら忘れられない。エンディングの輪唱も美しい。

みずいろの手紙
「便箋に楽しげな事を書きならべ悲しい心をまぎらわす私。誰からも"恋してる"とからかわれ、それがうれしい・・。手紙読んだら私のもとへ来てください。」今では考えられない、逢えなくなった人へ"手紙"を送る慎ましい女性を歌う、あべ静江の透明感ある名曲。この頃あべ静江は本当にきれい・・。

想い出のセレナーデ
「あなたのもとへ訪ねたあの日は、遠い夢のよう・・。あんなに素晴らしい愛が今はもう届かない。」少女漫画の世界のように叙情的で美しいメロディの天地真理の名曲。
この曲を聴くと、激しい60年代と軽薄な80年代の間の70年代は、何か一番傷つきやすくそれでいて甘酸っぱい、そんな時代だったように感じてしまう。

白いくつ下は似合わない
「歩道橋の上で君とどこまでも歩きたい、と言ったのはうそなの・・。失したものはないけれど、白いくつ下はもう似合わない・・。」白いくつ下を履いていた少女の恋は終わった、と少女から女性への成長を歌ったアグネス・チャンの名曲。
いかにも荒井由実(ショービズな松任谷時代とは違う)な作品。夢想ストーキングな歌詞の「魔法の鏡」や「まちぶせ」に匹敵する隠れた名曲。

青春の坂道「淋しくなると訪ねる坂道の古本屋。昔冗談で笑わせてくれた君に逢える気がして・・。青春は長い坂を登るよう。息を切らし一人立ち止まった時、君の手に包まれて泣けたなら倖せ。」あっという間に過ぎる若い青春を歌った岡田奈々の名曲。
今ではちょっと古くさい叙情的メロディが、逆に心に染みる。70年代は恥ずかしくなく"青春"と言えた時代。70年代に青春をすごした世代がうらやましい・・。

他にも、数え切れないほど70年代歌謡には名曲がある。洋楽の影響を受け、それをポップで聴きやすい万人向けにアレンジし大衆化させ、日本の成長と共に花開いた70年代歌謡。
私にとっては、70年代は完全な子供時代。上記に挙げた曲も聞き覚えがある程度でちゃんと聴き込んだのは、マニア度が深まったここ数年だ。
今のヒット曲がすごいスピードで消費されてゆく中、あらためて70年代歌謡を聴くとその奥深さ、柔軟さ、自由さ、そしてメロディの良さに驚かされる。
YouTube等今では誰でも気軽に70年代歌謡を聴くことができる。ぜひ一度その魅力を味わってみてはいかがだろう。

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2008年12月16日

- ゆるキャラ -

ゆるキャラが今なぜかブームだ。知らない人はいないと思うが、ゆるキャラとは、私の大好きな「みうらじゅん」が数年前に命名した「なぜこんな・・的なちょっと蔑視の入った目で見てしまう、"いやげ物"にも通じる、地方自治体や団体のはずかしいチープなマスコットキャラ」、のことだ。
マスコミにとって楽な埋め合わせネタになるためすぐ取り上げてもらえるし、ホームページやブログでも話題にしやすい為、まことに信用ならないが数億円の経済価値があるといわれ日本中至る所で生まれ続けている(そういうふうに団体に説得している地方の小さな広告会社の営業マンの姿が浮かぶ)。
そんな中で今年一番話題になり、マスコミ、ネットで取り上げられたキャラは「せんとくん」だろう。
2010年の平城遷都1300年祭のキャラクターだが、平城遷都1300年祭というのがまた何をするのかよく分からない、いかにも政治家先生や地方経済界のおじいさんがやりそうな住民置いてきぼりの経済政策的行事だが、この「せんとくん」で一気に日本中に知れ渡った。
たしかにこの行事告知を広告換算すれば数億、数十億かかるものを「せんとくん」報道でタダでやってもらったわけだから、経済効果があった、と取る人もいるだろう。実際テレビの影響を受けやすい子供たちには人気のようだし・・。
でも私のようなひねくれた、冷めた見方しかできない者にとっては、"事件で有名になった場所"と同じような印象で、プラス認知ではないし、それで奈良に行ってみたいとか行事に参加したい、という方向にはいかない(逆にちゃんとした広告費を計上し、企画もまともに考えられたJRのCM=室生寺編などは奈良に行ってみたいと思わせる)。
キャラデザインだけについて言えば、私は「せんとくん」、それほど嫌いではない。市民有志が独自公募した「まんとくん」のようないかにもなクセのないキャラのほうが、こういった行事のキャラには向いているとは思うが、他とは違う、という独自色が「せんとくん」にはある。
ただ「せんとくん」は500万円も出して開催者側が市民の意見を全く聞かずに作ったキャラ。一緒に盛り上げる市民を無視したような官僚的なやりかたで、そこが大本の原因でもあり「せんとくん」が気持ち悪く見える大きな要素でもある。
その後南都二六会という所が「なーむくん」というさらにわけのわからない、キャラ的には昭和4.50年代の学習雑誌の歴史マンガのタッチを色濃く残した、第三のキャラを出してきたが、まあこれはその後いたる所で作られた、なんでもありな今の日本中のゆるキャラの典型的なもので非常に安易なものだ。
ゆるキャラとはもともと、「なんでこんなものを・・」というキャラであったはずが、マスコミのあおりと安価な広告塔であると主催者が勘違いして、はずかしいという感覚が抜け落ちて、至る所で増殖を続けている。
なにかこういうキャラを作ることになんのためらいもないセンスと国道沿いの看板や清掃工場のエントツにおかしなイラストを描いてもなんとも思わず、美しい山並み風景を汚い景観にしてしまうことに気づかないセンスがダブって仕方ない。

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