2008年10月16日 - 緊張の日々 - この10月、私は緊張感の中にいる。24-TWENTY FOURシーズン6が放送されたこともあるが、ついにというかとうとうというか10年ぶりの歯医者通いが始まったのだ。歯科恐怖症ぎみの私は、歯の痛みに鈍感なこともあり奥歯の一部が欠けていてもなかなか歯科医に行く勇気が湧いてこず、第一歩が踏み出せずにいた。 明らかに片側でしか噛めない食事は体にも良くないことこの上なしだから、今年は絶対行こう、そう初旬から決めていた。春が過ぎ、夏が過ぎ、いっこうに行こうとしない私に私の歯はついに決断の時を求めたようだ。欠けた歯と反対側の奥歯の奥にある親知らずに穴を開ける、という最終手段に出た。水もしみる。お湯もしみる。甘いものも当然しみるが、しょっぱいものまでしみる。反対側の歯で食べたくても、欠けていてうまく噛めず、また物がはさまってしまい不快でたまらない。こうなると生活に明らかな支障をきたす。大好きなピザもハンバーグもアイスも楽しめない(ジャンクフード・・)。これは辛すぎる・・。逃げていた歯医者通いというものが現実味を帯び、そしてついに行動に出た。 恐怖症ぎみであるため、小さな個人医院ではやはり心許ない。ネットで調べ、口腔外科、麻酔科があり紹介状を必要としない病院となるとなかなかない。 結局、30分程度で行けて、専門的診療科が豊富な洗足にある昭和大学歯科病院に行くことに決めた。10年ぶりくらいの歯医者・・、緊張感で気分が悪い。とにかく初診で歯科恐怖症なので、昔日本歯科大でやってもらった静脈内鎮静法という、全身麻酔とは違うが分からないうちに治療が終わるそのやり方を希望した。 それから週一で歯医者通いが始まったわけだ。治療自体は静脈内鎮静法なのでほとんど分からない(記憶にない)うちに終わるので、もっと気を楽にしてもいいのだが、治療前の点滴装着までのあの何とも言えない緊迫感と治療後麻酔が切れた後の痛み、やはり苦手だ。治療に向かう日の電車内での私は緊張から、端から見れば明らかに顔色の悪い病人に見えることだろう。 後1ヶ月はこんな緊張感の中で冬を迎えねばならない。月末あたり、上野動物園と国立博物館-秋の庭園開放に行く気でいるのだが、今ひとつのんびりとはいかなそうだ。
2008年07月16日 - センチメンタルジャーニー - 先日、近郊アウトレットでなかなか行く機会がなかった、三井アウトレットパーク 多摩南大沢に行ってきた(旧名ラフェット多摩のほうが言いやすいし親しみやすいのに三井はアウトレットパーク〜に統一したいらしい、どうなんだろう・・)。 そこは昔、私の大学卒業の頃開発が始まった街で、それまでは野猿街道といういかにも山の中、的名前の道が走る田舎町、そこらへんで若者の固まりがいたら多摩美生かさらに奥の中央大生くらいの場所だった。 ここ最近、GoogleEarthで自分が今まで住んでいた街(家)を探す、そんな暇つぶしをしていて、多摩美の周りや橋本、そして南大沢あたりが、とんでもなく変わっていることを知った。 多摩美は私が子供の頃、テレビドラマであった「ゆうひが丘の総理大臣」の校舎ロケに使われた事で知られていたが(何度目かの再放送がちょうど大学に入る頃あったと思う)、放送から10年以上経っているにもかかわらず、あまり変化が見られない校舎風景だったが、私が卒業するのを待っていたかのように、その後大変貌をとげたようで、今回ついでに当時のアパートを含め実際どう変わったか見てこようと思った。 当時は町田街道と多摩美との間に山があり、私たち多摩美生は暇なときやお金がないとき、橋本まで"けもの道"のような草深い道を歩き山越えをしたが、行ってみると山はならされ、恐ろしく巨大なMrMaxというディスカウントストアと見たこともない道路群で、完璧なまでに造成された地域になっている。月見の丘と多摩美生に言われていた場所はどこら辺だったろう?MrMaxの上空あたりだろうか・・。 多摩美の周りも大きく整備され、グラウンドも版画棟も茅葺きの家も当時あったものは消え、本館と一号館以外まったく見たこともない大学に変わっていた。版画棟(のあった場所)の外側にまで造成の道ができていたが、車を止める場所はなく、意味もなく多摩美内に入ることもできそうになく、建築雑誌等でよく取り上げられる図書館脇の道を通っただけで断念(まあ今更中を見学する気もなかったが・・)。そこから妙に計画的でいて今ひとつ合理的でない、これから街が作られて行くであろう鑓水の並木道を通って、アウトレットパーク 多摩南大沢へ向かった。 柚木(今の南大沢駅北側)には当時友人が住んでいたが、そのアパートは平屋で周りは雑木林や山。アパートの数倍の広さを持つ草の生えた土の庭(敷地or空き地)があり、車やバイクで学校へ通っていたが(駐車場代などもちろんない)、そんな贅沢?なアパートはもうなかった。何もかもが新しく計画された都市に変貌した柚木=南大沢は見たこともない計画都市に変わっていた。 目的だった、アウトレットパーク 多摩南大沢に2時間ほどいたが、ちょっと期待はずれだった。グランベリーモールは数度行ってもまた行ってもいいかな、と思う魅力があったが、アウトレットパーク 多摩南大沢は一回行けば十分かな、とここ最近次々とできるモールと同じ印象を私は感じだ。私個人の勝手な意見では、お店がダブりすぎてどこも同じな三井系のアウトレットパークよりチェルシー系や東急のグランベリーモールのほうが楽しめるように思う。 夕闇が迫り、アウトレットパーク を出ると、学生時代のアパートの場所、橋本へ向かった。大学1年から2年まで住んでいた木造のアパートは、やはりない。当時でも築20年以上だったものだからしかたない。それでもそのアパートの前にある大家さんの家はそのままだった(幸い勧誘されなかったが、大家さんちは当時某新興宗教の集会場所になっていた。まだやっているのだろうか?)。 3年生になり少しまともなワンルームに引っ越したが、場所は前の場所から500mほどしか離れていない、細い路地の奥。車を途中で止めてもらい歩いて進むと、記憶がよみがえる。砂利の私有路、その奥の鉄筋マンションとは思えない玄関風入口。ん〜なにも変わっていない。色以外は・・。 確か私がいた頃は白かった。今は、・・緑・・?ビリジアン?マラカイト?・・。鍼灸院、介護サービスの事務所とどうやら今は学生が住む物件ではなくなっているようで、ちょっと近寄りがたく、時代の流れが人を変えるように、見ず知らずの建物に変貌していた。 多摩美周辺の整備、橋本駅前の都市化、マンションの変貌、夜中に散歩した小学校の今は冷たく閉ざされた校門。自分ではたいして経っていないように思っていたが、20年近く前の事なのだ。 断片的によみがえる当時の思い出。小さなセンチメンタルジャーニーと化した気分で走る16号もまた、見覚えのない巨大店ひしめく知らない道になっていた。
2008年06月16日 - 姓 - 珍しい姓(名字)を持った人と知り合うと、ちょっと羨ましくなる。判子作るのたいへんだよ、などと言うと、なんだそれは自慢か、と軽い嫉妬すらおぼえる。 私の名字「神田」。特にメジャーというわけではないが100円ショップの三文判にはある、そんな微妙なありきたりの名字だ。子供の頃は、周りに同じ名字がいなかったので少数派で珍しいのかな、と思っていたが、祖父の本家、埼玉のその地域には多く、また群馬でも知事にいたのを知って平凡なのだと気づいた。 それとは逆に、今になって改めて思い出すと住んでた地域には複数いて珍しくもなかった同級生たちの名字が、実は全国的にはかなり少数派だった、ということに気づく。 阿左見(あざみ)、藤生(ふじゅう)、五十木(ごじゅうき)、幼なじみで複数いた名字だが、今思うと珍しい。新(あたらし)、毛呂(もろ)、そうそう母方の名字でもある梶塚(かじづか)も全国的にはかなり珍しい。どれも上京して以降一度も出会っていない名字ばかりだ。 テレビの語学バラエティなどで難読名字を紹介することがあるが(紹介されすぎて難読ではなくなった感もあるが)、とても惹かれる名字がある。 「小鳥遊」。なんと素敵な字の組だろう。読みは、小鳥が安心して遊び飛ぶことができるという意味で鷹がいない=「たかなし」。こんな名字だったら、穏やかな人間形成されそうだ。歴史ある山里で大事に育てられたら言うことなしだ。 あと、「月見里」。月を隠す山並みがないということで、「やまなし」。こちらも耳で聞いてる限り普通だが、漢字の表現になったとたんとても素敵になる名字だ。 「春夏秋冬」=ひととせ、「九」=いちじく、などは珍しいし、読みにひねりがあって客観的にはかっこいいが、自分の名字としては微妙だ。 では、かっこいい名字といったらどんなものがあるだろう。龍崎(りゅうざき)・・かっこいいが名前負けしそうだ。如月(きさらぎ)・・古い重厚な日本家屋に住んでいたらなかなかいい。 住む場所や家庭の状況によっては、かなり厳しい面が多々ありハードルが高いが、公家系も素敵な響きのある名字が多い。武者小路や綾小路などの何々小路、西園寺や真行寺などの何々寺(3文字でじと読む)など気品と文学性が感じられる憧れの名字ではある。 あと小説家や小説の中の名字にも惹かれるものがある。金田一で有名な、横溝(よこみぞ)も深みのある響きで私は好きだ。また横溝の作品に出てくる、宇賀神(うがじん)もいい。作品の繊細さのイメージが強いからか、福永(ふくなが)もそれほど珍しくないが好きな名字だ。作家では他に正宗(まさむね)、室生(むろう)など響きがいいので惹かれる名字だ。 自分のペンネームを考えたとき、名字もそういったことから変えようと思っていた。ただいざ真剣に考えると、神田という名字が妙にもったいなくなった。神の田って悪くない。うさんくさくならず、偉そうにもならずに「神」という字を使えるのは、なかなかいいんじゃないか、と思った。 結局神田を変える事は早々に止め、神田に繋がる響きとしていいものはないか、と考えるようになってドンドコドンやチンチロチン的な流れる響きにできる、カダン=花壇に落ち着いた。時々一字一字読んで、読みづらく思う方に出会うが、ドンドコドンのリズムで"カンダカダン"と読んでください、というと納得してくれる。名字は平凡になってしまったが、私自身は気に入っているペンネームだ。 名字の魅力という話と微妙にズレてきてしまった。名前を付ける、いじる、ペンネームを考える、を同一ページで語るべきじゃなかったかもしれない・・。名前を引いてしまうほど難解読にしたり、英仏伊語風読みにしたり、刹那的感覚で子供の名前を付けるような話と同じになって、私の惹かれる歴史の深さを感じる名字の世界の話とは真逆のものになってしまった感がある・・。
2008年05月16日 - 散歩 - 前回の続きっぽくなるが、ここ最近よく歩く。寒い冬の間、少し仕事も詰まっていて、Macに向かっていた時間が長すぎたせいもあるのかもしれない。 私の住んでるところは妙蓮寺。新横浜まではそれほど遠くないので、よく歩いて散歩がてら出かける。先日も新駅ビル、キュービックプラザにあるお茶屋さんの抹茶ソフトを食べに出かけた。(私はソフトクリーム好きだ) しかし何度も歩くとやはり飽きる。菊名や白楽は、距離が短いし、やはり道に飽きた。(菊名はそれでも運動のため週3で歩くが) じゃ何処かないか、と思っていると、トレッサ横浜がオープンした。さすがにちょっと歩くには遠いかな、と躊躇したが地図で直線距離にすると3kmちょっと。それくらいなら大丈夫だろうと、連れと午後一で出かける。 鶴見の上の宮、獅子ヶ谷地区の小さな道をいく行程は、予想以上に新鮮ですぐに着いた。初めての道で、車の通らない道はほんと時間を感じさせない。広いトレッサ内を歩き回ることのほうがかなり疲れてしまった。あと日差し全開で自動車道路だった家から上の宮へ行く細い道に入るまでの300m、ここだけは気分的にきつかった。トレッサ自体はララポート横浜と同じく、まあ一度行けばいいかな、といった所だろう。 そして私の散歩熱は4月下旬ピークを迎える。とうとう「横浜そごう」まで歩いてしまった。春の心地よさからだろうか、それとも実際はたいした距離ではないからか・・、感想としては、思ったよりも楽で、行程は実に楽しかった。 浦島伝説のある浦島丘からJRが何車線も下を走る歩道橋を渡り、亀住町というやらせのような名の町を抜け、神奈川新町駅手前で線路沿いに入る。「笠のぎ稲荷」という京急の線路に挟まれた小さな稲荷社は、なんとも不思議な空間だ。社の後ろに回送の京急が止まっているし、稲荷社は高台にできているのだが、その高さと真正面3m先の京急の線路の高さが同じなのだ。社から階段で歩道に降りる時に目の前を京急が走るとものすごい迫力だ。 仲木戸を抜けると、熊野神社がある。社自体は小さいのだが、狛犬がすごい。嘉永年間のものらしいが本体だけで1.5mはあるだろう。台座が低い分バランスが悪いくらい大きい。またここには、樹齢400年の御神木の銀杏がある。戦災で焼け焦げた痕が今も生々しく残っていて一見の価値がある。(神奈川警察署へ免許更新に行かれる方は、ぜひ) そこからは海沿いの旧漁師町のような所を通り、運河だろうか人が通るだけの橋を渡り、ポートサイドと呼ばれる高層マンション地区を抜け、ベイクォーター&横浜そごうに到着。体調が良かったからか、もう少し時間と目的があればみなとみらい地区くらいまで行けた気もするが、目当ての物産展に寄って、帰りはさすがに歩きは無理なので電車で帰る。2時間近く掛かった距離を10分で到着・・。 5月に入ってからも、渋谷で打ち合わせ後、閑静な住宅街散歩をしながら学芸大学まで歩いたり、散歩熱は梅雨に入るまでは続くだろう。東京散歩も楽しい。昔のドラマの舞台をめぐるのもいいかもしれない。 そうそうジャケットイラストを描かせていただいたCDが、4月30日から発売されたようで、見本CDやAmazon、iTunesでは確認したが、まだ店頭で見ていない。近所でもいいがどうせならワールドポーターズあたりまで歩いてHMVにでも寄ってこようか・・。
2008年04月16日 - 春 - 4月になると、暖かさに誘われて行動的になる。元住吉渋川沿いの桜を見に行き、ららぽーと横浜に行き、今週末には、毎年近所なので行くカーボン山の八重桜を見に、来週あたりには、氷川神社+ミッドタウン、ちょっと遠出で大山千枚田や天竜川、掛川花鳥園等々、行こうと予定を立てている。4月初旬は花粉症でせっかくの春でもなあ、と思っていたが、幸いつらい日は2.3日ですっかり無症状になると、やはり春はいい。 あらゆる自然物が活動を再開し、生のエネルギーで満ちあふれる春。緑の色は若く、光り輝いている風景は、不健康な生活に慣れきった私にも元気を与えてくれる。 また人々も、新たなスタートを切る。私の姪もとうとう大学生になった。初めての一人暮らしは不安もあろうが、おそらく希望に胸ふくらませ、今までの学生生活とはひと味もふた味も違う大学生活を満喫することだろう。 逆に親である姉や、仲の良かった兄は、今まで身近にいた者が遠くで離れて暮らす事はさびしくて心配でしかたないだろう(でも昔と違い、メールも電話も気軽に使える時代。距離ほど遠くには感じないだろう。それがいいことなのか、どうかはまた別問題だが・・) 今回は少々忙しく、書きたいこともいろいろあるのだが、時間がなさ過ぎる。(外に出る時間が増え、Macに向かう時間が減ったのもあるが・・)更新時間or寝る時間も迫ってきた。春は時間がより短く感じるのは楽しいからか、年を取ったからか・・。これから藤やツツジなど花盛り。とにかくこの季節は楽しく、忙しい。 では、今回はこのへんで・・。
2008年03月16日 - 70年代歌謡 - 最近iPodでよく聴くのが70年代歌謡曲だ。70年代マニアとしては当然といえば当然だが、70年代私は幼児から小学生、知ってるようで知らない世界で、新たな発見も多く、日本の音楽の全盛期と呼ばれるだけのことがあるこの時代の曲は、とても奥深くバラエティに富んでいる。 演歌&ムード歌謡。私には良さのわからない一種独自の徒弟制度と地方回りを特徴とする大衆音楽だが、改めて、先入観なしに聴いてみると70年代前半の演歌&ムード歌謡は、結構ロックしている。 五木ひろしの「待っている女」。出だしは完全なガレージロックだ。またブラスロックやサイケ&プログレの影響もかなり受けているアレンジで、サイケ・ガレージロックファンには一聴の価値がある。 クールファイブの「そして、神戸」。こちらも恐ろしく歪んだヘビーギターが歌に絡んでくる。ブラスもかなりかっこいい音でブルースロックな味わいがある。 細川たかしの「心のこり」。これは完全にNeil Sedakaの「The Diary」のパロディだ。一歩間違うと盗作と言えそうなほどそっくりで、演歌歌手が歌えば、演歌。歌詞を軽くし、ポップス系歌手が歌えば完全なオールディーズになる。 70年代初頭の演歌・ムード歌謡のアレンジャーは、その時代のブルースやサイケ、プログレなど洋楽の影響を強く受けているようで、70年代後半以降の日本のニューミュージックの影響を受けた演歌よりずっと、ヘビーでカッコイイものが多い。 ただ残念なのがどれもヴォーカルが出過ぎていてせっかくのバックのかっこよさを消している所だろうか・・。 アイドル歌謡も70年代は全盛を極めた。そのヒット曲も、今聴くとなかなかアレンジに凝っていて、80年代の打ち込み系の薄っぺらいバンドより、迫力のある楽曲がたくさんある。 Elton Johnの「Have Mercy On The Criminal」のイントロそのもので始まる南沙織の「傷つく世代」は、Eltonの曲がイントロ以外面白みがないのと反対に全編張り詰めたロックサウンドを聴かせてくれるし、岡崎友紀の「おくさまは18才」は、かなりセンスのいいバカラックサウンドに仕上げている。 キャンディーズ「危い土曜日」の疾走感、桜田淳子「黄色いリボン」ドリーミーなパワーポップ感。アグネス・チャン「草原の輝き」の少女漫画的メルヘンの世界。 今のヒット曲=ファン以外誰も口ずさめない歌と違い、だれもが親しみ、何十年たっても口ずさむ力を70年代歌謡は持っているように思う。 黄金の歌謡全盛時代である70年代前半から中盤、子供過ぎてリアルタイムでそのヒットを聴いた記憶がないものもあるし、実際青年、大人として70年代を過ごした方たちとは、まったく違う聴き方だと思う。70年代マニアとして贔屓目に見ている面もあるだろう。ただ間違いなく言えることは、メロディの力、楽曲のバラエティさ、という点では今よりずっと豊かで、惹きつける魅力を持っていたということだろう。 妙蓮寺から菊名付近を夕方、よく散歩している。ほくそ笑みながら、iPodを聴いているメガネ&無精ひげがいたら、それは私だ。もし歌謡世界に没頭し、こぶしを握りながら歌っていたり、エアギターをやっていたら、かまわず呼び止めて厳重注意してほしい。
2008年02月16日 - カナモジカイ - ある情報を調べたくて調べていくうちに、その説明内に出てきた興味深い事柄が気になり、またそれを調べ、またその中の興味をそそるものが出てくると、それを調べる。そんなことを意味もなく数時間やってることがある。特にWikipediaなんかではドライアイになるほど時間をくってしまうので要注意だ。 最近もまた、大正時代の何か(その一番最初は忘れている)を調べていくうちに次から次へと移っていき、「カナモジカイ」というものにたどり着いた。 字数があまりにも多く、また使い方も音よみ・訓よみあり、規則性がなく学習にムダな時間がかかる漢字をやめ、カナモジだけでやっていこう、という団体だ。 大まかな成り立ちは、大正9年に 「仮名文字協会」として設立。大正12年 に 「カナモジカイ」と改称。昭和13年から財団法人として現在も続けている結構歴史ある団体だ。 この団体。実は知らず知らず、私たちも関わりを持っている。大正14年、 「カナモジカイ」は、カナモジ書体の懸賞募集をおこない、選ばれた書体は、「ホシ」と名づけられた。この活字は、レミントン(Remington)社タイプライターのカナタイプに採用され、その後旧JIS 配列の決定にも貢献した。つまり今のパソコンなどのキーボードのかな配列には少なからず 「カナモジカイ」の血が残っているわけだ。 またその後より読みやすいカナフォントとして「アラタ」というのものが戦後設計され、フォントメーカーとして知られる「モトヤ」より現在も販売されている。 その思想=元からの日本語にたいしての漢語の乱用、 ワープロやパソコンでの漢字変換の非能率、など確かに賛同できる面がある。特にキーボード入力での漢字変換の非能率は、100文字に満たない文字数で全て表現できる英語をうらやましく感じることがよくある。カナモジだけで表現できればそういった意味では英語なみに無駄がなくなるわけだ。 ただ漢字の文化が千年以上も続いてしまったことで、便利だと思う反面、微妙な感情や情緒がカナでは伝えられない、カナだけでは読みづらい、という感覚に日本人はなってしまった。本来外来なものだった漢字が、国粋的な人たちにも好かれるくらい日本のものになってしまったわけだから、それを利便性だけでカナモジだけでいこうというのは、やはり無理があった。国家的な強制でもあれば別だが普及しなかった理由もわかる。 それでもこういった団体が80年以上もがんばって続けているのは、ある意味驚きでもある。もし興味を持ったら一度 「カナモジカイ」サイトを訪れてみてほしい。真剣に日本語について、日本語の表記について考えている姿は、すべてには賛同できなくても感銘を受けるはずだ。
2008年01月16日 - 時代の流れ - 深夜、意味もなくNHKに合わせる事が多い。別に見るわけではなく静かすぎるのがいやだからだが、そんな夜中のNHKの定番番組「MUSIC BOX」はつい見てしまう番組だ。 70年代80年代90年代のファッションや流行、風俗をその当時の映像とヒット曲で送る映像散歩というもので、先日も作業の手を止めてボーッと見入ってしまった。 あの映像は毎年取っているのか、そこら辺も疑問だが、どんな観点から映像モチーフを選んでいるのかも非常に気になる。街ゆく若者のファッションや風俗、流行っていた商品などの映像は当然理解できるのだが、70年代の映像だろうか、工場内で赤い糸を紡ぐ機械を何十秒も流していたり、80年代の映像では、バーコードのシールを5回も6回も重ねて試し貼りするシーンなど、なぜそのシーンを、といったものがいきなり出てきたりする。赤い糸は何を表しているのかまったく分からないが、バーコードはその当時スーパーなどで導入が開始された、ということを伝えたいのだろうことはわかる。でも映像としては商品に貼っていくシーンにするのが普通で、なんだかわからない所に何枚も重ねて試し貼りするシーンはどうも理解できない。ただそのシーンがあるからこそ、こんなにもこの番組が気になるのだから、制作者側の狙いなのかもしれない。 いやこんなことを書こうと思って書き始めたのではない。「MUSIC BOX」で、ファッション、街並みの変遷など時代の流れが手に取るように分かり興味深い、ということを書こうと思っていたのだ。 特に70年代始めから、80年代中盤までは時代の流れが速かったのか、あらゆるものが変化している。髪型は長髪から短髪、時代の印象は地味で重いが開放的だった70年代から、軽く一見自由そうだが管理的な80年代の空気がよくわかる。 そして90年代。私が見た映像は92年だったが、今と何が変わっているのか、私にはわからない。髪型も今いても何もおかしくないし、ジーンズもケミカルという笑ってしまうものが終わり、古着など今に通じるジーンズファッションになっているし、特に時代を感じるような際だった服装も見られない。唯一の違いは携帯を持っていないくらいだろうか。92年だから16年も前の映像になる。1970年から1986年の16年の時代の流れと同じ時間とはどうしても思えない。 70年代はたしかに高度成長期だったというのもあるだろうし、戦後の国としての青年期から大人への時代だったのもあるだろうが、とにかく風景(目には見えないものも含めて)が、そして時代の色が大きく変わっていくのが70年から80年の「MUSIC BOX」を見ていてよくわかる。 私が70年代マニアになったのは、後ろ向きな思考というより、まともに社会を見れば、老化し病巣が拡がり破綻寸前の"今"と違い、いろいろな問題が起きようとはしていたが、まだ社会全体に未来への希望が溢れていた最後の時代だったからだろう、と思う。 逆説的に言えば、日本が破綻した後には、新たな"未来に向けての"期待や夢が生まれ、私の思考も未来志向になるかもしれない。 まあ、それでも70年代のあの虚構娯楽の時代を子供として体験してしまったので、そうなっても70年代マニアでは居続けるだろうが・・。
2007年12月16日 - 日本の風景をダメにしたもの - 日本の風景が汚いと感じる人は多いだろう。特にヨーロッパなど旅行に行った経験のある方は強く感じると思う。旧市街を残す、とか建造物を100年200年で壊さない、といった都市計画的部分も大きいが、一つ一つの"やってはいけない"デザインのボーダーライン、周りを見ない自己満足の度合いの違いが一番大きいように思う。 「立て看板」 住宅地では不動産、繁華街ではゲーム、パチンコ、と道路を醜くする第一人者だ。街を汚くする一番安価なもので、一人で一日で簡単に景観を壊すことができる。明らかに違法な気もするが、警察が取り締まっているのを見たことがない。 「車輌広告」 動く看板と化した公共交通バス。財政が厳しいための苦肉の策なのだろうが、やるのなら徹底した基準を作るべきだ。ど派手なものや質の低いデザインの広告などひどいペイントが結構ある。ADC選考委員などの大御所デザイナーによる審査を設けるべきだと思う。 また地方の鉄道が、子供付き観光客寄せのためにキャラクターものなどをプリントした列車を走らせることがある。自治体の恥ずかしいキャラものと共通する自然景観をまったく無視した浮いたシロモノで悲しい。 広告ではないが、「ナッチャンRera」というやってはいけないようなネーミング&ペイントも悲しくてしかたない。自分の車に同じペイントしても乗れるのだろうか?と担当した人に聞いてみたい。 「ブルーシート」 今でもどこに売っているのかわからないが、農家では必ず持っているところから農協で売っているのだろうか?農協は農村を崩壊&汚くした大物だが、このブルーシートと農協キャップは瞬く間に日本の農村をもの悲しい風景に変えた。 「サッシ」 最近はブラウンや木枠風のサッシも出てきたが、古いマンションや家ではシルバーの冷たく安っぽいサッシからもれる蛍光灯の青黄色した明かりが寂しさを倍増させる。特に哀しいのが、築100年くらいの茅葺き農家が、お金と人手のなさから、茅葺きをトタン葺きに、戸と窓だけをサッシに変えてしまった場合だ。重厚な木造住宅の屋根と窓戸が妙にチグハグで廃れゆく農村の代表的風景だ。洋建築でもサッシを木枠窓にするだけで雰囲気はガラッとおしゃれに変わる。 「駅舎」 京都駅や長野駅など観光の玄関口の近代化は、何も心に残らない駅舎にしてしまった。古都の情緒を、善光寺の平安を求めに来たものにショッピングセンター駅ビルのような駅舎は醜悪以外の何者でもない。建造物単体では優れたデザインのものもあるが、街の性格との調和という最も重要な事を忘れている。8畳の居間にバロック様式の家具を入れてしまう成金の人と同じ感性なのだろうか。日本の歴史や文化を見に来る外国人観光客は、パリ北駅やアントワープ中央駅とのあまりの違いに驚くことだろう。 もう一つ、ある意味ではこっちの方が重要かも知れない。JRとなって合理化した結果、ローカル線の小さな駅が、無人駅化し建て替え時にゾットするような新しい駅舎に変わっているのだ。古いが暖かみがあってまわりの山並になじむ駅舎が壊され、工事現場の仮設事務所風や公園の公衆トイレ風の1日で作ったような超低コスト駅舎になっている。山の中にポツンとあるその風景は悲しさというより悲惨さが漂う。 「自治体のハコモノ」 小さな自治体で、地方交付金の使い道がない(でも余らすと翌年減る)ことや地元土建業者への見返りに、必要もないのにハコモノを作る。客観的に見るとそれによって田舎が汚くなった側面も非常に大きく、自治体にとってプラスになっていないことが多いのだが、相変わらず気づいていない。 そんなハコモノの中でも特に悲しいのが、殺風景なハコモノにキャラクターをつけてしまうことだ。焼却炉のエントツにマンガチックな動物キャラ。どうみても日本の貧しい地方の風景なのに、公共物だけヨーロッパの名建築の安価コピー。山の中の木々に包まれた中に現れる目玉をつけた橋。町おこしとして一昔前の絵本に出てくるようなUFO風施設。作った本人達が自慢げにしてるところが悲しさを倍増させる。 他にも20年保たないだろう的な低コスト狭小建売住宅や自動販売機、誰もが思う電信柱など挙げたら切りがないが、個人がどうこうするレベルをとうに越えてしまっている。みうらじゅんが言う「いやげもの」「ゆるキャラ」を生む国なのだ。高度成長期という狂躁を体験して何か精神疾患をこの国は発症しているのかもしれない。
2007年11月16日 - ネット考 - 私がインターネットを始めたのは、まだMacが"漢字Talk7.5"で、Windows95が出たばかりの頃だ。まわりがデザインやアートに関わる人ばかりだったからかみんなMacで、Windowsは難しいという感じで何がどうなのかわからないままMacを購入し、最先端のインターネットも出来るならやってみよう、といった感じだった。 当時はインターネット雑誌が出始め、普通の人がやっと参加しはじめた頃で、ネットに繋ぐにもまだ専門的なPPPやTCP/IP、プロトコルといった今もわからない用語や設定が細かくたいへんで、敷居はかなり高かった。 あれから10年、信じられないくらいネット人口は増え、インターネットをすることが当たり前の時代になった。私もほぼ1日中繋ぎっぱなしで、テレビを見ていてもどこかのサイトを巡ってたりする。 ただネットにドップリ浸かってディープな生活を送っているか、といえばそうでもない。ハマったら抜け出せないだろう「2ch」には投稿したことはないし、掲示板にコメントもしたこともないし、ミクシィも参加していない。前回紹介したような昭和や江戸などのこだわりサイトや風景・街散策サイト、Mac情報、音楽情報を巡る程度で、相変わらずの薄く広くだ。 それでもITmediaなど情報サイトやニュースサイトなどは見ているからか、ある程度ネット上で話題になっているものは知っている。だからだろうか、毎日のようにそういった情報サイトなどで話題になっていると、誰もが知っている情報と勘違いしてしまう事も多分にある。 以前、パソコンを持っていてインターネットをしているという知り合いに「YouTube」の話をしたら、知らなかった事があった。仕事でメールをやって、後は新聞サイトと株情報しか見ていないということだった。Amazonも2chも名前は聞いたことがある程度、アフィリエイトって薬の名前、という人もいた。 でも考えてみれば、結構その程度の知名度というのが全世代で考えれば現実ではないだろうか。実家でも両親は上記サイトを一つも知らないだろうし、パソコンを一応持っている兄姉も一度も利用したことはないはずだ。 自分自身も薄く広くネットを見ているだけだから、「2ch」などの掲示板にはネット右翼と呼ばれる人達がいて、過激な発言やリベラル系新聞(朝日、毎日など?)を攻撃しているのも最近知ったことだし、「初音ミク」というアニメ系DTMソフト?がネット界では人気というのも、IT情報サイトで知ったばかりだ。 ただじゃあそれが、どういうものなのか、という詳細は何もわからない。興味があれば調べるが興味がなければ調べないからだ。おそらくこれが現実のネット社会なのだろう。 私の興味がある、例えばMacなら、Mac系情報サイトやブログで、新OS=Mac OS X 10.5 Leopardが発売されたのは知ってて当然のことで、一大製品が出たような大々的紹介ページや新しい機能の詳細が記事になっていて、楽しくそれを読んでいる。しかし、興味がない人達には、情報ニュースで見出し記事があっても素通りし、存在そのものを知らず、まさかそこまで新しいMac OSについて活発に活動しているサイトやブログが多数あることすら知らないだろう。 ある世界(サイトや掲示板)では当然の認識でも一歩違う世界に行けば、まったく知らないことになってしまうのが、ネットの社会だ。ついついその世界にどっぷりハマると、一般の現実社会でも常識or感覚(誰もがそう思っている、知っている)と勘違いしてしまいがちで、偏った狭い一元的世界観に突入してしまう。 私がネットに深入りしないのは、その一元的な怖さだし、またハマったら自分もそうなってしまいそうな怖さだ。だから私は、薄く広く、自分の好きな、楽しみたい情報・知識を得るための便利な情報道具として、一歩退いたある意味"本を探すような感覚"でネット生活をしている。