儚い鹿鳴館時代、冷ややかな目で見ていた西洋人からも美しいと評され、舞踏会の華、鹿鳴館の華と称された二人の貴婦人が「陸奥亮子」と「戸田極子」です。 現存するモノクロ写真でも十分美しかった事がわかりますが生き生きとした感じがモノクロではあまり感じられないので、幕末写真の要領でカラー化してみました。ただ残っている写真の陰影部の荒さ、二つの写真の質感の違いが、思ったほど生き生きとした感じにはならなかったのが残念です。
鹿鳴館は、明治16年(1883)コンドル設計による日本初西洋社交クラブとして麹町山下町(現内幸町-帝国ホテル南隣り)に設立。外国の賓客接待以外、国内行事や舞踏会、夜会、婦人慈善会が催され、文明開化の象徴となりました。 しかし鹿鳴館の評価は一部の新しもの好き以外評価は芳しくありませんでした。西洋人には貧弱に見え、伝統を重んじる日本人には退廃的として映ったようです。 鹿鳴館の歴史は短く明治20年頃には下火になり、明治27年(1894)華族会館に払い下げられ、昭和15年(1940)解体されました。
陸奥宗光の妻。没落士族の家に生まれ、東京新橋柏屋の芸妓となり、宗光に見初められて後妻となる。戸田極子と並び社交界の華、鹿鳴館の華と呼ばれた。
岩倉具視の次女。旧大垣藩主戸田氏共の妻。生来の美貌と華やかさで陸奥亮子と並び社交界の華、鹿鳴館の華と呼ばれた。伊藤博文との不倫疑惑がマスコミで噂された。